再開発計画

中華街構想!?池袋チャイナタウンは観光・グルメスポットになれるか?

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東京・池袋には、横浜中華街とは全く違うチャイナタウンがあることをご存知でしょうか?

日本人の我々がイメージするチャイナタウンとは、いわゆる横浜中華街のそれですが、池袋には日本人観光客向けにアレンジされた中華街ではなく、リアルな中国人街が形成され、それが年々存在を大きくしています。

当記事では、池袋チャイナタウンの現状を調べてきましたので、ご紹介したいと思います。

 

 

池袋・中華街構想の今

池袋北口の階段を上がると、雑多な歓楽街特有の匂いと共に、多くの中国語に耳に入ってきます。

私は中国語がわからないので、すべて同じに聞こえてきますが、詳しい方に聞くと、北京語や福建語といった様々な方言が飛び交っているのだそうです。

ちょっと池袋の街を歩くだけで、聞こえてくる中国語の多さと、その看板の数に驚かされます。

そんなチャイナタウン化した池袋北口にあって、2008年に池袋を中華街にして観光資源として活用しようという動きがあったことをごぞんじでしょうか?

その名も『東京中華街構想』

池袋駅北口周辺には飲食店を中心に中国系の店舗が200店舗ほどありましたが、雑誌に取り上げられるような有名店はほんの数店舗。

広く日本人観光客を呼び込めるほどのブランド力がなかったため、池袋を中華街として確立することで集客を見込もうと言うものでした。

どうやら横浜中華街を意識したもので、東京唯一の中華街という意味で『東京中華街』と銘打ったそうです。

その際、池袋にある中華系の店舗を紹介することはもちろん、「中華祭り」などの多様なイベントを開催して、飲食だけでなく中華街を多角的に発信していこうと考えていたようです。

「あれ?でも東京中華街なんてどの観光ブックにも載ってないぞ」

その通り、構想から約10年が経過しますが、残念ながら東京中華街構想は暗礁に乗り上げ、その計画自体が凍結したままです。

 

 

なぜ中華街構想は凍結してしまったのか?

東京中華街構想が凍結してしまった理由を考える上で、理解しておかなければいけないことがあります。

それは、池袋北口のチャイナタウンと、横浜中華街の成り立ちの違いです。

池袋北口のチャイナタウンは「日本で一番中国に近い街」なんて表現をされることがよくあります。

そこにあるのは、ニュースで見かける爆買いをする富裕層でも、窃盗や凶悪な犯罪を犯す中国人でもなく、ごくごく普通の「老百姓(ラオバイシン)」と呼ばれる人々で、1980年代末以降に、安い労働力として日本に来日した「新華僑」です。

彼らは池袋北口のコミュニティーの中で、日本にいる中国人相手に商売をしてきました。

池袋北口で食べられる中華料理が日本人の口に合わないと言われるのは、そのためです。

対して、横浜中華街などいわゆる日本人向けにアレンジされた「中国」を、日本人観光客相手に商売をしてきたのが「老華僑」です。

彼ら老華僑は、昔から日本で日本人相手に商売をし、日本人がほしい「味」や「文化」を提供してきました。

このように、池袋北口のチャイナタウンと横浜中華街では、そもそもの成り立ちが違うのです。

自分達の狭いコミュニティーの中で中国人向けに商売をしてきた新華僑

日本人向けニーズを捉えてアレンジしうまく商売をしてきた老華僑

それぞれのチャイナタウンには、こんな対立軸が見えてきます。

どちらが良い、悪いという話ではありません。

ただ、老華僑の横浜中華街は日本に根付き、新華僑の東京中華街構想は凍結してしまっている事実からして、「老華僑」と「新華僑」というキーワードは無視できないのではないでしょうか。

老華僑たちは、新華僑に対してこんな印象を持っています。

「新華僑と我々(老華僑)は全く違う!路上の客引きは平気で行って、ゴミ出しのルールも守らないし、ど派手な看板を出して街の景観を損なうことも全く気にしていない。老華僑が苦労して、日本側と折り合いを付けてきたことを平気で壊している。」

今どきの若い者は的な話はどの国にもあるのでしょうが、実際にルールを守らないことで自分達の首を絞める結果になっていることは事実のようです。

また、池袋北口のチャイナタウン化を外から見ている者としては、新華僑たちは池袋という街に溶け込んでいるように見えますが、その内実は少し違うようです。

昔から池袋で商売を行っている日本人の言い分としては、こうです。

  • 商店の脇の路地に段ボールを積んだまま通行の妨げにしている
  • 路上に平気で大きな看板を置く
  • 一部を除いて、商店会に入らず町会費を払わないくせに、街灯や公共施設はタダで使う

一つ一つは小さな問題でしょうが、郷に入れば郷に従えと言う言葉があるように、ちょっとしたルール無視に地元の店主たちからの視線は厳しいもののようです。

新華僑は池袋に「溶け込んで」いるのではなく、異物として「浸食して」きている状態だったのです。

当然、それでは反発は出ますし、東京中華街構想の凍結理由もそのあたりにあるようです。

 

 

地元商店会からの反発

東京中華街構想は、2004年上海出身で日本の広告代理店に勤めている広告プランナーの男性により、発起されたそうです。

その後、新華僑の経営者達を募り、10人ほどのメンバーで「東京中華街準備委員会」を立ち上げ、2008年にはメディアを招いて記者発表まで行っているそうです。

地元と新華僑の経営者達との融合を掲げ始まった「東京中華街構想」ですが、地元からの反発を招くことになります。

地元側の言い分はこうです。

「地元側も中国人とは共存していかないといけないとは感じているが、池袋には池袋の歴史があるのに、それを無視していきなり池袋を中華街にしたいなんて、困ります。」

池袋は、新宿や渋谷と違い、駅から少し歩くと、昔から住んでいる方々の住宅地が広がります。

繁華街特有の治安や風俗営業といった問題から、いかに子供たちを守るかということにご苦労されてきた方からすると、中華街構想は不安の種でしかなかったのかもしれませんね。

また、池袋の魅力は、その「雑多さ」にあると言えます。

外国人と言っても、当然中国人だけではありません。

多くの人種と、文化を飲み込んで、とらえどころのない多面性と、いい意味でのチグハグ感は、池袋が長い時間をかけて作って来た偶然の結果なのです。

そんな歴史のある街に、新参者の新華僑がいきなり「ここを中華街にする」では、当然のように反発は出ます。

商店街側からすれば、地元の商店会にも入らず、ゴミ出しのルールや通行の妨げになるような看板で揉めている相手が、自分達の街にすると宣言したようなものですからね。

地元の店主達の気持ちはわかります。

一方で、新華僑側からすると、地元との融合、歩み寄りを見せたつもりが、侵略者のような扱いを受けて心外であったことも想像できます。

とは言え、東京中華街準備委員会と地元店主達との話合いは、それほど険悪なものではなかったと聞きます。

むしろ、池袋をよくしたいという名目のもと、譲れない条件の落としどころを前向きに探していた建設的な話合いだったそうです。

では、何がいけなかったのか?

何が中華街構想を壊したのか?

それは見本側のマスコミです。

「地元商店街VS中華系飲食店 池袋中華の乱」として、対立構造を煽ったのです。

そして、中華街構想に反対する政治団体などが抗議デモを行うようになり、建設的な話合いは進まなかったと言います。

渦中の人間たちが、歩み寄ろうとしている中、全く関係のない外部の人間によって、「東京中華街構想」は壊されたのです。

 

 

中国人組織の犯罪

マスゴミや政治団体以上に、地元商店街が気にしていたのが、中華系のマフィアの存在です。

「中華街なんて作ったら、中華系マフィアの巣窟になってしまうんじゃないか?」

そんな懸念も中華街構想がとん挫した要因の一つのようです。

当時、池袋を含む多くの繁華街が動力団排除に頭を悩ましていた時期でもあります。

中華系マフィアは当然日本のヤクザとも繋がりがあるため、せっかくヤクザを池袋から追い出したとしても、中華街構想で入り込んだ中華系マフィアを隠れ蓑に、また日本のヤクザの影響力が強くなってしまうのでは?という懸念もあったようです。

池袋の治安ってどうなの?危ないのは西口?北口?

 

 

池袋チャイナタウンは『中華街』になれるのか?

2008年からの東京中華街構想は残念ながら凍結してしまいました。

今後、池袋北口のチャイナタウンはどうなっていくのでしょうか?

中華街構想を立ち上げたことによって、今まで溜め込んでいた地元の不満が一気に紛失し、逆に関係は冷え切ったものになったと言います。

  • なぜ商店会に入らない?
  • なぜ共同使用している街頭費用を払わない?
  • なぜゴミ出しのルールが守れない?
  • あのド派手な看板はどうにかならないのか

こういった不満を公然と言える空気が出来上がってしまったそうです。

そして、現在ではお互いの領域には踏み込まない暗黙の協定を結んだかのような冷ややかな共存が続いているそうです。

 

では、このままでいいのでしょうか?

池袋の街自体も2020年のオリンピック、そして2025年を目標に国際発信都市へ生まれ変わるという目標を掲げている中で、新華僑達との関係を見て見ないフリでは本当の意味での再開発は進みません。


そして、新華僑側も店舗数も増える中で、中国人向けのビジネスと言うだけでは、必ず限界が来るでしょう。

お客が中国人だから、商習慣も接客マナーも、料理の味も中国のまま。

中国スタイルをそのまま持ち込んだやり方は、店舗が少なくお客側が増え続けるという前提で成り立っていましたが、今後その前提が続くとは限りません。

日本人にもお店に来てもらえるような仕組み作りが必要です。

老華僑が作って来た中華街を、池袋の新華僑達は作れるのか?がポイントになってくるでしょう。

新華僑の中には、いまだに日本の習慣やマナーを守らず、中国人のイメージを損なっている人間がいます。

新華僑側にも、地元をもっと訳して行こうという責任をもってもらう必要があり、それを共有するには休暇街構想と言う取り組みは有用だったように感じます。

新華僑側の意識改革と共に、地元商店街にもその意識を伝えると言う意味では、中華街構想のような大枠での取り組みを再度続けてほしいものです。

 

 

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