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【池袋の闇歴史】闇市、巣鴨プリズン跡地に建つサンシャイン、絞首台跡が残る東池袋中央公園

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池袋嫌いって人、意外に多くないですか?

これにはいろいろな理由が考えられますが、一つに池袋が抱える闇の歴史があることが言えます。

その闇歴史からくるネガティブなパワーは根深く知れば知るほど、強い力がある土地なんだと実感させられます。

今回は池袋という土地にまつわる歴史の中でも、「闇」の部分をピックアップしてご紹介をしましょう。

 

 

いまだに残る池袋のネガティブイメージ

池袋は、副都心として肩を並べる新宿、渋谷と比べてもイメージが悪いのではないでしょうか。

池袋のイメージ

  • 治安が悪い
  • ゴミが多い
  • キャッチが多い
  • 風俗などの繁華街が多いため、危険が多い

治安の悪さは、昔から言われていることではありますが。


調査すると様々な声がありますが、これらは、新宿、渋谷も同じこと。

なぜ池袋だけがこんなにイメージが悪いのでしょうか?

それには、根強く残る歴史的な背景があることがわかりました。

 

 

池袋の由来

1日の利用客270万人と世界でも2位のワールドクラスのビックステーション池袋駅ですが、江戸時代はもともと池袋村という小さな村でした。

常磐から横浜方面へ輸送する鉄道を設置する際、当初は目白に設置する予定でしたが、学習院があったため、池袋に設置されました。

それがきっかけで池袋が発展するきっかけとなりました。

つまり、池袋の発展は戦後からと言うことになりますね。

 

いつから「ブクロ」とよばれるようになったのか?

「ブクロ」とはヤクザ社会やその界隈で使われていた言葉を、当時の若者たちがマネし始めたことから来ていると言われています。

他にも、新宿を「ジュク」、上野を「ノガミ」、吉祥寺を「ジョージ」なんてのも、ヤクザ社会で使われていた言葉です。

今でも「ブクロ」という呼び方が残ってしまっているのは、池袋とそういった闇社会の繋がりが未だに強いということでしょうか。

 

 

戦前の池袋

上記でご説明した通り、江戸時代の池袋は、もともと『池袋村』という小さな村でした。

その名の通り、「池」「沼」が多い地帯でまったく整備もされておらず、とても人が住めるような土地ではなかったそうです。

場所的にも、江戸の入口のため真っ暗で、そこで辻斬りが横行するような場所だったのです。

江戸の中期には一晩で17人が辻斬りされたなんていう記録も残っているそうです。

こうした辻斬りを収めるために『四面塔』という慰霊碑が建てられ、今でも池袋東口に残っています。

池袋の最強心霊スポット!?四面塔碑の謎

 

戦争と池袋

池袋界隈は第二次世界大戦のアメリカ軍による空襲でほとんどが消失しました。

だから、歴史的な景観の多くが失われました。


1945年(昭和20年)4月13日、3月10日の東京大空襲から約1か月経った夜、米軍のB29爆撃機による空襲が始まりました。

豊島、荒川、王子、足立、滝野川にまたがる広範囲での、フライパン爆撃と呼ばれるもので、当時池袋二~四丁目の一部を除く全域が消失したと言います。

 

 

巣鴨プリズン(巣鴨拘置所)

池袋のサンシャイン60が建つ前、スガモプリズンと呼ばれる巣鴨拘置所が第二次世界大戦中から大戦後に存在していました。

「池袋サンシャインシティ」は1978年に竣工したサンシャイン60の他、プリンスホテル、水族館、プラネタリウムなどのレジャー施設、博物館や劇場があつまった複合施設で、今では池袋で最も有名なランドマークになっている場所です。


そんな華やかな場所ですが、ここにはスガモプリズンがありました。

スガモプリズンとは、第二次世界大戦中には思想犯・反戦運動活動家が収容されており、戦後には、A級戦犯、BC級戦犯が収容されております。

極東国際軍事裁判で判決が下った政治犯の多くが死刑執行されました。

東条英機らA級戦犯が7名、BC級戦犯が53名にものぼります。

もともと、戦前には東京拘置所がありましたが、1945年にGHQに接収され「スガモプリズン」と改名されました。

今の住所は池袋ですが、当時は豊島区西巣鴨だったため、「スガモプリズン」になったそうです。

結果として、池袋の名前がつかなかったことは、池袋のイメージダウンにならずにすんでよかったとも言えますね。

ちなみに、スガモプリズン跡に建てられたサンシャイン60の「60」は処刑された60にかけたものと言います。

つまり、サンシャイン60自体が処刑された者たちへの慰霊碑というわけです。


慰霊碑としての池袋サンシャインと、東京タワーと東京スカイツリーで皇居を守るための結界を作っているとか、いないとか。

まぁ都市伝説の類ではありますが、信じるか信じないかはあなた次第です・・・的な。

 

 

巣鴨プリズン跡が心霊スポットと言われるわけ

サンシャイン周辺は、有名な心霊スポットとなっています。

特にサンシャイン隣の東池袋中央公園。

死刑囚の首を吊った絞首台の上に立つサンシャインの歴史的背景と、サンシャイン建設時の相次ぐ事故などから、サンシャイン周辺は心霊スポットとして噂がたつようになりました。


また歴史的に見ても池袋は殺傷事件が多い土地でもあります。

なにか関連があるかというと、、、、まったくわかりません。

 

池袋東中央公園は戦犯の処刑場だった

心霊スポットとして名高いサンシャイン周辺の中でも、特に有名なスポットは池袋東中央公園です。


なぜ池袋東中央公園が心霊スポットかというと、池袋東中央公園が巣鴨プリズン絞首台跡だからです。

その証拠に池袋東中央公園に慰霊碑があります。

 

住所

東京都豊島区東池袋3-1

 

 

池袋西口と闇市

池袋の闇市は戦後、朝霞駐屯から運ばれてくる闇物資が池袋にあつまり、闇市へと発展しました。

日本の戦後史を語る上で、闇市の存在は避けて通ることはできません。

闇市は言葉のとおり、違法な横流し市。


終戦直後、国民生活に対する政府の対応は後手に回っていました。

民衆は自主的に食料の供給を中心とする市場を求めました。

そういった違法な場所には暴力があふれ、今では考えられないくらいの治安の悪さだったそうです。

任侠的な「組」、いわゆるヤクザが率先して、闇市を作り、飲み屋やバーなど多くの店が乱立し、大きな歓楽街となっていたそうです。

池袋西口の闇市は、日本の中でも、その典型であり、その巨大なマーケットから最後まで残った文化遺産とも呼ばれる存在です。

闇市は、今でいうデパートのように物を買う場所ではなく、より深いところで生活に結びついていたもので、その街そのものとでも言えます。

そんな巨大な「闇」を内包し、戦後発展していった池袋の抱える「闇」もまた大きいのでしょう。

闇市があったのは、昭和37年までです。

闇市が一掃されてからは今の池袋西口公園になりました。

そんな池袋西口公園も2020年に向けて、さらにキレイに再開発が進んでいますね。


東アジア文化都市として、世界へ文化を発信して行ける国際都市を目指している池袋。

戦後の発展に負けないくらいの変化を、きっと私たちに見せてくれることでしょう。

 

 

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